別居

人生

早いもので

今日で別居から、1年が経った。

慌ただしく別居したため、たくさんの物を家に置いてきたままだ。

妻に子供の事を第一に考えて出て行ってほしいと言われた。

私にとって子供は、何より大切であり、子供の生活環境を大切にと思い、家を出る決意をした。

私は家を追い出されてしまう形になったが、いつの間にか私が家を勝手に出ていった事になっている。

たまに、以前住んでいた家の前を通ることがある。

私の家は何もなかったかのように、1年前と変わらす今もそこに佇んでいる。なんて儚い人生だろう。。。

家を出る時の所持金は、クレジットカード1枚と1000円も無い現金だけだった。

そして両親には感謝しかない。

田舎から、車で来てくれて私の荷物を運んでくれた。また、新居に必要な家具も嫌な顔一つせず、揃えてくれた。

まさかこの年でこんなに親に頼ってしまわないといけない自分が悔しかった。

今まで自分は何してきたんだろう?本当なら、親孝行する立場ではないだろうか?

でも、必死に生活するしかなかった。

両親にはありがとうという言葉では、伝えようにも伝えきれない。

 

私にとってこの1年間は、忘れない1年間になった。いや、忘れてはならない1年間だ。

涙をグッとこらえ、日々たくさんの事を一人で考えた。

一人での時間が増えたことで、自分と向き合う時間が増えた。

毎日を何気なく過ごして来た自分に気づかされた。

別居前は、いつも恐怖や不安から逃げようとしていた。変化が起こる事に対して、現状維持を守ろうとする自分がそこにいた。

しかし、今は苦しい時こそ、成長のチャンスなんだ。一番苦しい時が自分の人生を大きく変えるチャンスである。

困難を乗り越えた時にいつかそのことが明るい未来への伏線だったと言えるようにするんだと考えられるようになった。

幸せについても考えることがよくあった。

いつも幸せって何なんだろうって思っていた。

周りの人を見て、人の話を聞いて、インターネットで検索して。。。答えは中々みつからない。

幸せは、形があって物質的なものだと考えていた。

探せば、探すほど見つけることができなかった。

しかし、別居をして日々の生活や自分を内省する中で気付くことができた。

今は、毎日繰り返されるその時その時を丁寧に味わうこと。

そして、一つ一つの事を丁寧に行う、感じることで日常が贅沢な時間に感じられ、心に余裕を持てる。

 

例えば、簡単な事だが、

御飯をただ口にかき込むのではなく、味わいながら食べる。

ランニングしながら、変わる景色を楽しむ。

早起きをして、少しでも自分の時間をつくる。

そうすると、小さな幸せを感じることができるようになってきた。

その気持ちが、恐怖や不安を消してくれた。私に挑戦する勇気をくれた。

幸せに形はなく、毎日を大切に生きて、日々新しいことに挑戦出来ることが幸せなんだと思うようになりました。

2日後には、第一回目の調停が行われる。

1年間ひとりで生活し、両親や周りの人の支えもあり、ここまで過ごしてきた。今後に不安がないと言えば嘘になる。

これからもたくさんの失敗をするだろう。しかし、失敗しないということは何もしないこと。前に進むことはない。

失敗して後退したら、また前に進むチャンスと捉え、もう1歩前に前進しよう。

そして、自分の人生の成功と失敗の両方に自分は、全面的に責任を負っている。

ということは、

今の自分が望んでいる自分でないのなら、それは自分の責任である。

今の自分は、私が今までに行ってきた選択の産物であり、これからの選択の積み重ねが未来の自分になるということになる。

この1年を振り返り、少しは自分も成長出来ている実感はある。

これからは、更に新しいことに挑戦する事をここに誓います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました