40代【男性】で経験。初めての調停

人生

3月23日、第一回目の調停が終了した。

小雨の降る中、裁判所までの道のりで、この約1年間を振り返りながら一歩一歩進んだ。

緊張と不安、約1年間自分の心と対話してきた思いが複雑に交差している。

これからの人生を左右しかねないこの日を遂に迎えた。

偶然にも長女のお宮参りをした神社を通り、裁判所へ向う。。。

神社へ立ち寄り、神様へお祈りする。

 

長女が生まれてあれから5年が経っていた。

私の思い出の写真はほんの数枚しかない。

数枚のうち、お宮参りの写真を別居前の家から、持ち出していた。

息子と娘は、10歳離れている。

今でも息子が長女を誇らしげに抱っこし、にっこりしている写真は、二人の最高の1枚である。

そんな二人と会えない日々が続いていて、胸が痛い程に二人に会いたい思いが日に日に募っている。

こんなにつらいのは、どんな言葉でも言い表せないくらいの子供たちの温もりを毎日空気のように感じてしまったせいなのかなぁ…

 

二人は今何を思っているんだろうか?

私はいつも貴方たちのことを考えてしまう。

 

そして、私は裁判所に到着し、弁護士の先生を待つ。合流をして、個室で打ち合わせをする。

その時、調停員の方が呼び出しにくる。

遂に調停が始まり、

妻側からの要望やこれまでの経緯が調停員を通して述べられる。

予想していたとはいえ、納得のいかない内容が次々と。。

やはり、二人の間には深い溝が出来ており、埋まることはないのだと、その時すぐに理解できた。

 

私の最大の望みは、面会交流である。

必ず、これだけは達成したい。この1年間、どうしても譲れない思いである。

長男は中学生なので自分の意志がある。会いにきたり、電話して来たりできる。

しかし、娘はまだ5歳だ。自分ではどうしようもない。

例え、会いたいと思ってくれたとしても、まわりの雰囲気を何となく察し、言わないだろう。

家に居ない私の存在は、薄くなっていくのだと感じる。

娘とはコロナ禍で遠くに出かけたりはできなかったが、一緒によく寝た。

毎日のように『パパ』と読んでくれた(詳しくはパーパだけど)

寝る前に良く『くまのがっこう』を読んだね。私は眠たいけど、もう一回もう一回と娘が眠くなるまでエンドレスに続く。。

そして、コロナ禍に約束したピクニックにいく事と新幹線に乗ってみたいという願いも未だ叶えられていない。

何ひとつ願いを叶えられない。悔しくて悔しくてしかたがない。

一生に一度しかない1番可愛い時期に、あなたの側にいてあげれないことが。。。

いつか叶えてあげたいと心の底からパパは思っているよ。

妻には、面会交流に関して子供の利益を1番に考えてあげて頂きたいと心から願う。

これから、私と妻は別々の道を歩むことになるだろう。

しかし、子供たちは二人の子供であり、子供にとっては二人とも親なのだ。

そして、子は親をモデルとして考えることができる。

子供が大きくなった時に、私たち二人共に関係を持てていた事が、良かったと思ってくれると思う。

 

どちらからも愛されているという実感は、子供たちの安心や自信につながるだろうし、子供の成長にもプラスになるのではないかと思う。

 

2回の入れ替わりで、第一回目の調停は、終わった。

次の調停は、5月に第二回目が行われる予定だ。

 

🌸第一回目の調停が終わっておもった事

自分の思いや気持ちは、伝えられた。

まだまだ簡単に終わりそうには無いが、気持ちは前を向けている。

私の子供との思い出や家族で過ごした日は、別居してから時間が止まっている。

でも、日々時間は流れている。時の流れはさらに速くなった気がする。

子供たちも日々成長しているのだろう。

私も、立ち止まっていることは出来ない。

将来の自分に良くここまで来たなと言ってもらえるように、日々自分をアップデート出来るようにしていこう。

そして、子供たちの最高の笑顔にまた会いたい。

きっと会える!!

コメント

タイトルとURLをコピーしました